第2章 理想への憧れと、静かな違和感

1. 朝の通勤で積もる違和感

朝、まだ薄暗い時間に家を出る日が続いていた。
子どもが起きる前に玄関を閉め、
「行ってらっしゃい」と言われることもなく、
ただ静かに家を出る。

駅までの道は、いつも同じ景色だった。
同じ時間に家を出て、同じ電車に乗り、
同じように人の流れに押し込まれる。

それが当たり前になっていたはずなのに、
どこかで、ほんの少しだけ違和感が積もり始めていた。

「この働き方は、自分の望んでいたものだっただろうか」

通勤電車の窓に映る自分の顔を見たとき、
ふとそんな問いが頭をよぎることがあった。

2. 夜の帰宅で積もる摩耗

夜、家に帰ると、家の明かりはついていた。
妻は起きていて、「おかえり」と声をかけてくれる。
その声に救われる瞬間もあった。

けれど、部屋の中は散らかったままだった。
洗濯物が積み上がり、
床には子どものものや日用品がそのまま置かれている。

妻は片づけを重視しないタイプで、
それは責めたいわけではなかった。
ただ、疲れて帰ってきた体には、
その光景が静かに重くのしかかった。

「なんで家にいるのに何もしないんだろう」

そんな思いが胸の奥に浮かぶことがあった。
でも同時に、

“自分に余裕があれば、
こんなふうには感じなかったのかもしれない”

という気持ちもあった。

妻は妻のペースで家を回している。
子どもは母親と過ごせて幸せそうだった。
家族は、今のままの私でも十分に暮らしていける。

そのことは頭では分かっていた。
それでも、自分の中だけに、
静かな摩耗が積もっていった。

守りたい日常があるのに、
その日常のそばに自分はいない。

働くことで守れなくなっているのではなく、
“自分が望む形で守れていない”
という違和感が、胸の奥でじわりと広がっていった。

3. 理想への静かな憧れ

そんな日々の中で、
自宅で働くという理想が、静かに頭をもたげるようになった。

会社に縛られず、
朝の光の中で子どもを送り出し、
夕方には「おかえり」と迎えられる働き方。

そんな生活ができたらどれだけいいだろう──
そう思う瞬間が増えていった。

情報社会の中には、
自宅で働く方法がいくつもあるように見えた。
ブログ、アフィリエイト、SNS、動画、投資。

画面の向こうでは、
「誰でも簡単に稼げる」と語る声が溢れていた。
もちろん、そんなに簡単ではないことは分かっていた。

けれど、心のどこかで、
「自分にもできるかもしれない」と思いたかった。

幸い、資産がまったくないわけではなかった。
休職制度を使えば、
2年間は暮らしていけるだけの保証もあった。

その事実が、
「今の働き方を変えられるかもしれない」という
小さな希望を支えていた。

ただ、現実は変わらないまま流れていく。
朝は早く、夜は遅い。
子どもの日常は、私のいないところで進んでいく。

その背中を見送ることも、
迎えることもできない日々が続いた。

「いつか変えたい」

その思いは、まだ言葉にならないまま、
胸の奥で静かに揺れていた。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次